「和」を伝える和izm

安河内眞美の「日本の絵・日本の美」
絵画の真贋を見分けるには、どういう見方をすればいいのか?
と、訊ねられることがよくあります。 難しく考えることはありません。
ポイントは、素直な目で絵を楽しむことです。
日本画の楽しみ方にも通じている、その鑑賞法をご説明しましょう。
 まず色をよく見ることです。
 本物は色が違います。永い歳月を経たものでも、昨日描いたような色鮮やかさを保っています。日本画独特の岩絵具で描いたものは時代こそつきますが、それは変色したり、劣化したり、というものではありません。
 例えば、緑青(ろくしょう)の色も、本物は時代を経ても鮮やかな緑です。くすんだりしません。
 江戸時代までの絵に、悪い岩絵具などというものは見られません。変色するものが出回るようになるのは、皮肉なことに文明開化した明治以降なのです。おそらく、化学的な材料が入ってきたせいでしょう。偽物の色は往々にして、派手気味だったり、品のないものが多いようです。
 また、画家によって特徴的な色というものがあります。例えば、浦上玉堂でしたら墨の色が違います。本物は、他では見られないような黒々とした色をしているのです。その墨を色を憶えていれば、玉堂の偽物を見たときに、なにか違うだろうと感じると思います。
 真贋を見分ける次のポイントとしては、動物や人がしっかり描けているかどうかです。けっして難しい判断ではありません。むしろ、素直な目で見れば分かることです。
 例えば、動物が描かれていたら、その足がしっかりしているかどうか? 馬や鹿はちゃんと大地に足を踏みしめて立っているか? 木にとまった鳥の足は枝をしっかりつかんでいるか? 魚は、ちゃんと魚らしく描かれているか?
 人なら、その骨格というものを熟知していて、それに血肉をつけて、衣服を着せているのか? バランスがおかしくないか?
 見た目でいいのです。そのようなところが、判断のポイントになります。
安河内眞美セレクション
・東京都 青梅市の川合玉堂美術館にて
 そのような判断のポイントをさまざまな絵をたくさん観て、経験を積み重ねて、学んでいくのです。
 とにかく、たくさんものを観ること。そして、良いものを観たときの感覚や記憶を、しっかりと自分の中にためていくのです。
 私が尊敬していた鑑定家で、川合玉堂のお孫さんにあたる川合三男先生は、「鑑定とはセンスだね」と仰っていました。ひじょうに微妙な差異をしっかりと見分ける感覚……、それはある種のセンスのようなものです。
 たしかに、センスとかカンとかいったものは重要です。しかし、そのセンスも、経験と知識を積み重ねていった上で役にたつものだと思います。
 「この画家は、この時代にこういう絵は描いていないし、こういう落款は使っていない」というような、史実に基づいた具体的な知識を得る。その上で、「その絵に嘘がないか、どうか?」 を見極めていくというわけです。
 嘘がないか、どうか? とは、どういうことかといいますと…。作品自体から漂い出す画家の人柄、生き方、描かれた時代の息吹…、そうしたものを感じとるということです。
 例えば、椿椿山(つばき・ちんざん)という人は、江戸時代末期の武士です。絵の先生が渡辺崋山です。
 実は、そういう知識は鑑定の仕事にも役立つ重要な下地になります。それは、そういう知識を頭に刻みつけてから、いざ絵の鑑識やテレビの解説にのぞむと、真贋に対してカンが働くからです。
 例えば、椿山の作と称される掛け軸を観た時に、 〈絵の具や、墨、紙の質などは、椿山の他の作品と同じようである。客観的に見る限り、時代的にも違和感がない。だが、どこかおかしい。絵の雰囲気にどこか濁りがあり、汚い感じがする。本物にあるべき清潔感や格調が欠けている…、椿山ともあろう人がこんな絵を描くはずはない。これはきっと偽物だ。〉
 そのような具合に、閃くのです。つまり、絵自体が発散する、微妙なオーラのようなものを感じようとするわけです。
 カンを働かせるための下地は机の上で勉強できても、閃きの感覚自体は机の上の勉強ではけっして会得できないものです。実際に沢山の本物の作品を見て、その佇まいや空気、雰囲気を身をもって覚えていくことが大切だと思います。
 よく、掛け軸の鑑定の時に、紳助さんが「少し離れてみると、絵が自分から本物か偽物かを教えてくれる」と、おっしゃっています。紳助さんも絵から発散されるオーラ、気のようなものを感じとっているのだと思います。
 絵は生きもの、いろいろな雰囲気を身にまとっています。それをしっかりと受け止めることが真贋を見極めるポイントではないか、と思います。
 テレビの「なんでも鑑定団」でもときどき、「中島先生の本を見て勉強した」というような方がいらっしゃいます。
 この「本を見て勉強する」というのも、ひじょうに危険な要素をはらんでいます。
 例えば、古伊万里の皿の高台は全体の三分の一以下だとか、そういった決まりごとを本で見て丸暗記して、ものの良し悪しを判断しています。
 しかし、そういう決まりごとを偽物作りも当然真似ていくわけで、そこにきれいにダマされてしまうわけです。
 肝心な、もの自体が持つ雰囲気や佇まいを見ていない。決まりごと、条件ばかりに目がいって、品物を見ていないのです。それでは本末転倒なのです。
安河内眞美・掛け軸 ・安河内さんの
 ご自宅にて
 写真で九十九パーセント贋物だと判断したものが、実は本物だったということがありました。
 写真では、見るからに偽物だと思ったのですが、現物を見たら印象が百八十度変わって、印譜もあわせて一致したので、本物と判定しました。やはり写真では分からないものです。ものに接しないと…、これは人でもそうかもしれませんが…、実際に接しないと本当のところは分かりません。
 しかし、人というものは誰しも、自分のものにしてしまうと贔屓目で見て、判断がにぶってしまうという側面があります。「惚れてしまえば痘痕(あばた)もえくぼ」というわけです。
 コレクターにはすべからく、そのような傾向があります。鑑定を依頼してきても、「あの古寺の絵と同じなのです」と、本物の作品とは明らかに違うのに断固として主張したりします。
 ですから、プロの骨董屋さんは、自らがコレクターになってはいけないといわれるのです。
 また、お金が絡むと、どうしても欲目が出てきてしまいます。
 私も後になって考えると、「どうしてあんなものを……」というような品物を「もしかして、本物じゃないだろうか。本物だったら儲かるなぁー」と、固執してしまった経験があります。
  長年「なんでも鑑定団」をやってきて感じることは、その品物が好きで買ったという人の品物は、結構本物であった確率が高いように思います。それに対して、これはいいものに違いない、といった欲の見え隠れする方の物はたいてい、残念でしたー、という結果になりますね。
 やはり、何事においても、素直な目で向き合うことが大切なのでしょうね。  素直な目で心で、楽しむことです。
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安河内眞美安河内眞美(やすこうち・まみ)
 福岡県北九州市に生まれる。
 77年上智大学外国語学部ロシア語学科卒業後、銀座のギャラリー「月光荘」(ロシア絵画専門ギャラリー)に就職。
 79年アメリカへ語学留学。80年帰国して美術商の義兄を手伝ったことがきっかけで、 本格的に東京・芝の老舗古美術商「平山堂」で五年間修行を積む。
  85年独立して東京・六本木にて掛け軸・屏風の専門店「洗心」(2006年、「美術商やすこうち」に変更)をオープン。
  96年よりテレビ東京系列「開運!なんでも鑑定団」にレギュラー出演中。鑑定士として掛け軸など日本画を担当。 現在、「なんでも鑑定団」の仲間たちと設立した美術品鑑定会社「偶庵」の代表取締役社長でもある。
  江戸時代を中心に狩野派、琳派、円山四条派等日本の古画を得意とする。好きなことはぼんやりすること。